結局スマートフォン サイト制作だけ選べば良かった
翌年、T社はさっそくクラウンの輸出をねらったが、「スピードが出ない」、「ハイウエイでは振動がひどく、運転できなど、「騒音がひどすぎる」といったクレームが集中して、この作戦は失敗に終わった。
1960年、T社は「ティアラ」(二代目コロナの米国名)で再挑戦したが、これもまたハイウェイをクリアできなかった。
現地での詳細な試乗テストが行われ、その成果が設計に生かされたのは、65年に米国に投入した3代目の「コロナ」からである。
こうしてようやく国際的な自動車メーカーとして市民権を得たのである。
1960年代、米国の乗用車市場は年々販売台数が記録を伸ばし、フォードが発売したスポーティ・セダン「マスタング」は1965年に40万台を超える空前の大ヒットになるなど、輸入車に対してナーバスになるような状況はまったくなかった。
このような好調さは第一次石油危機の起きた1973年まで続き、この年米国車は91万台を販売した。
輸入車もじわじわと増え、VW、BMW、アウディなどの欧州車にまじって、日本車もホンダなどの健闘で輸入車中約40%まで占めるようになっていた。
トしかし、石油危機とともに燃費効率の悪い米国車は人気を落とし、総販売台数のなかで輸入車がシェアを18.2%まであげた。
そのなかで日本車はシェアをじわじわと伸ばし、欧州車との地位を逆転させた。
米国T社は、コロナの後継車「クレシーダ」(日本名マークⅡ)と「カローラ」の二車種を投入していた。
また、いわゆるピックアップといわれた小型トラックの「ハ蝉イラックス」も好調だった。
しかし「クレシーダ」の主力ユーザーは戦後生まれのベビーブーマーが中心で、彼らの年齢的成熟とともに次の新車購入時の上位移行が問題となってくる。
ジュァリーカーはメルセデス・ベンツ、などの欧州車の独壇場であり、日本車はこの分野に手つかずの状態だった。
ナンバーの壁「日本のクルマは本当に不格好だな」。
技術開発部門の責任者であったSは米国に出張そのころ、日本円の対ドル為替相場は1970年の1ドル27円から1978年には一気に190円へと上昇、日本車の溢路をついて格安の韓国車が急速にシェアを伸ばしていった。
輸入車が急増するなかで米国の自動車産塵業は1979年から81年にかけて輸入制限を声高に叫ぶようになり、1985年、日本の自動車業界は対米輸出台数を230万台に留める自主規制を実施した。
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